一月くらい前から、私の頭の中に残っているワードがある。
それも、かなり肯定的に残っている。
”寄り道”
である。
1か月くらい前に読んだ書籍「私は私のままで生きることにした」の中にこんなフレーズがあった。
「大切なのは、好きなだけ寄り道できる自由と、お互いの寄り道を許容する寛大な目」というのがあった。
人生は、”道”に例えられることが多い。
私の人生を振り返ってみても、20代は酷かった。
司法試験を受け続けた20代。言わば、黒歴史。ていうか、ほぼ記憶がない。
人生は有限だし、過ぎ去った時間は取り戻せない。
故に、ムダと切り捨てるのはあまりにつらい、時間が誰にだってあるような気がする。
それを”寄り道”という表現に置き換えることには、どこか優しさを感じる。
私の20代は、寄り道であったと思う
両親は、その寄り道を見守ってくれたとも思う。寛容な目だったと思う。
人生という単位で、10年という単位で、1年という単位で、”寄り道”はあっていいと思うし、それを許容できる経営者でいたいと思う。
仕事に目的・目標を掲げてを寸暇を惜しまず邁進するのも格好いい。
そうありたいとも思う。
それと同列に”寄り道”にも寛容でありたい。
失敗したとき、挫折したとき、「寄り道だったね」と笑えるくらいでいたい。
現在、夏季休暇中。
奥能登にあるワイナリーの帰り道。
何でこんなところに数台が車とまってるんだろう?と思い、車をとめるとこんな看板を発見。
目の部分は明らかに作為的に人工的に後付け。
”寄り道”したからこそ見れた景色もある。
と、思いたいよね。
~石川県金沢市の司法書士が繋ぐ寄り道ブログ~