ぴっかぴかに生きる

2018年9月10日

最近(でもないか)のニュースで、うそーんって思った件。

 

もっと大きく取り上げるべきなんじゃないの?って思った件。

 

東京医科大学の受験生が女性というだけで一律点数を引き下げられていたというニュース。

 

いかに私立であっても許されないだろう。

 

お医者さんになりたいと願って、限られた人生の貴重な時間を使って、努力した受験生の思い、今後の人生を何だと思っているだろう?

 

 

 

さて、浄土真宗本願寺派の寺の副住職でもある私は、昨日、仏教講座なるものを受講しました。平たく言えば、法話を聴いてきた。

 

いいこと聴いたのでご紹介しよう!

 

浄土真宗本願寺派(西)のお寺に行ったことがありますか?

 

中心に阿弥陀如来がいて、その周りが金箔で覆われていて金ぴかです。ぴっかぴかです。仏壇もそうですね。

 

あれ何でぴっかぴかか知ってます?

 

たぶん、チコちゃんは知ってます。

 

それを昨日教わりました。

 

阿弥陀如来(宝蔵菩薩)が仏になる際に、四十八の願い(誓い)を持っていたんですね。

 

その第四願に、全ての人が平等にぴっかぴかに生きることを願ったそうです。

 

あの金ぴかは、ぴっかぴかに人が生きている世界を表現してるんだって。

 

仏教が誕生したのが紀元前5世紀。当時圧倒的差別社会のインド。

 

日本国憲法が制定されたのが20世紀。

 

第13条で幸福追求権を謳い、第14条で平等権を謳っている。

 

国家は、個人がぴっかぴかに生きる権利を奪ってはならない。

 

その精神は私人間であっても尊重されなければならない。

 

力のある者は、ぴっかぴかに生きる者の邪魔をしてはならない。

 

大学は例え私立であっても、女性受験生にもぴっかぴかに生きるチャンスを平等に与えらなければならない。

 

昨今のセクハラ、パワハラ問題も、きっとそういうこと。

 

 

私は、副住職ですが、このブログで、偉そうに何か仏教を知ってもらおうとか思ってませんよ。

 

宗教自体に違和感を感じる人もいるでしょうしね。

 

大袈裟に考えている訳ではなく、いいこと聴いちゃった、くらいの記事だと思ってくださいね。

 

「ぴっかぴかに生きる」っていう表現、何か良い。

 

 

~石川県金沢市の司法書士が繋ぐ副住職ブログ~

愛別離苦 求不得苦

2018年7月1日

所長である私は浄土真宗本願寺派の寺の副住職でもある。

 

ゆくゆくは住職になる私は、(司法書士をやりながら)、この週末、京都で二泊三日で勉強会に参加してきました。

 

参加者の半分くらいは、お寺の跡取り。別の仕事もしていて時間がとれず、ダイレクトに住職の資格が取れず、この勉強会に参加しないといけない方々。

 

つまり、同じような境遇。

 

そこには、暗黙の、共感、連帯感みたいなものを感じる。

 

僕らは、思い通りに生きられるわけではない。

 

何かを受け入れ、苦しみながら、もがきながら、それでも一所懸命生きている。

 

今を生きている。

 

仏教では、人生は苦であるということを一つの諦、真理としている。

 

どうだろう? 毎日が楽しい、幸せだと感じてるときには気づけない。

 

でも、人生は苦だと、感じざるを得ないときってみんなあるでしょ?

 

だって、人生は有限だもん。

 

愛別離苦、どんなに愛してても別れざるを得ない苦しみ。

 

求不得苦、どんなに求めても得られない苦しみ。

 

人生は苦だ、と言ってくれた人がいる、自分だけじゃない、多くの人もそうなんだという共感があれば、ちょっとは救われるんじゃないかな?

 

ちなみに、苦の原因は愛だ、と言ってるところがすごいよね。

 

僕は、今を生きています。

 

苦しみながら今を生きています。

 

カルペ・ディエムはラテン語で”今を生きる”の意。

 

司法書士法人カルペ・ディエムは今日から3年目。

 

”Carpe   Diem”

 

 

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