仕事先の担当者さんがHPのブログ読みました、と。まだお若いです。
「煩悩の言い換えは人間らしさだと思います」と。
煩悩の言い換えを募集しています、という先日の私のブログに対する回答です。
生意気言ってみたいなことをおっしゃるので、いえいえありがとうございます。と。
私もそう思います。
人間が人間であるがゆえに逃れられないものですね。
私たちの宗祖親鸞さんも自力では煩悩から逃れられなかったと比叡山を降りています。
その正直さがとても魅力的だと思っています。
だって、真っ白ってしんどいじゃないですか? 他を寄せ付けない感じがしますよね。
100%真っ白ならいいんですが、99.9%白でも0.1%黒 シミみたいのがあると気になるじゃないですか?
ほとんど白なのに、そのシミみたいなところを責められたりしますよね。
親鸞さんさえそうおっしゃるところに人としての魅力がありますよ。
親近感がわきますね。
自力では救われないから、そこは阿弥陀さんにお任せしようというのが他力であり、浄土真宗の教えなわけです。
人間らしさゆえに人は苦しむ。
そうだと自覚した上で、さてどう生きようかな?ってところが大事になってくるんじゃないかなって思うわけです。
お任せするんだから、そこは感謝して、ありがたいなって謙虚に生きよう!
私ね、もうすぐ住職になるんですね。あっ!?司法書士もこのまま続けますよ。
住職になるって不安なわけです。目の前にいる人はたいてい人生の先輩方ですからね。間違ったこと偉そうに言えないじゃないですか?
と、思ってたんですけど。
まあ、間違ったら直し直しいくしかないなって思ってて、今考えてることを大きく見せることなく伝えていく方がいいなって考えてるんですね。
ブログはこちらからの発信な訳ですが、
今回みたいに、実際にお会いする方から答えが返ってくると、双方向のコミュニケーションがとれていいなって思えました。
Kさん、ありがとうございます。
そうそう、私ね。最近思うんですよ。思ってるだけですよ。
仏さんとか、阿弥陀さんとか、あるいは神様(八百万の神々)とかって、私がここにいられる時間的な繋がりだったり、私がここにいられる周囲の繋がりだったりの、つまり”おかげさま”の総称なんじゃないかなって思うんですよね。上手く言えてないですけど。
だれかのおかげで生きているんだなって謙虚な気持ちで生きていこう!
~石川県金沢市の司法書士が繋ぐ副住職ブログ~